2007.06.29 生きる目的
私は、どうもノホホンと育った為か、若い時分から、何のために生きているのか、何をしたいのか、どう生きるのかなど何も考えないまま過ごしてきました。

世間の人々はいい学校に入って、いい会社に入って、出世をして楽な生活を送りたいと思って、厳しい競争社会で頑張っているのに、私にはどうもゼニを稼ぐという本能が乏しかったようです。

言い方を代えれば、これは現実逃避と言ってもいいかも知れませんね。或る時期には金の無い世界に住みたいなどど考えたりもしたんです。

でも、これでは困りますよね。やはり現実と理想の両方を確り見据えてバランスを取った生き方をしないと、偏った生活を送ることになってしまいますものね。
私が肉食に疑問を持つようになってから、自然に玄米菜食を実践するようになりました。指圧学校に入学した頃です。

当時はまだ、午後から会社に出勤するという変則な生活をしていた頃です。自分で玄米に小豆を入れて焚いて、野菜のおかずと詰めて弁当にして会社に持って行ったりしていたんです。

会社でその玄米弁当を食べていると、他の社員がいぶかしそうに見て、冷やかし半分に色々言ってきました。

当時はまだ、肉食の非について良く理解していませんでしたが、自分は肉食を止めて玄米食にするんだと言ったら、それじゃぁ栄養が取れないだろうと言う者が大半でした。
2007.06.27 「肉食の非」
前回申しあげましたように、「宇宙学」と言う言葉に引かれて、『宇宙学教室』の会員になり、毎月送られて来る月刊誌を貪るように読みました。

書かれていた内容は、それまで宗教で学んだこととは違い、地球はどういう位置にあるか、地球人はどういう立場にあるかなどがハッキリと教えられており、一気に目の前が開けた気がしました。

そして追々に地球上の宗教が如何に間違っているかと言うことも、よく分かってきました。ただ、その時分もまだ宗教には縁がありましたので、宇宙学で述べられていた内容などを信者にも見せてみました。

予想通り、彼等には奇異に映ったと言いますか、理解の範囲を超えているように見えたようで、取り合ってくれる者はおりませんでした。


先日、サラリーマン生活に飽き足らず、何とか人の役に立つ仕事をということで、指圧の道に進むことを決心したことを話しました。

ただ、上司の説得で指圧学校の入学を見送ったことまで話しましたね。その後も気持ちは学校に行くことに傾いていましたので、翌年に指圧学校の入学手続きを取りました。

そして午前中は指圧学校に通い、午後から会社に出勤する変則的な毎日を送ることになったんです。でも、これでは会社に迷惑が掛かりますので、翌年には退社して、指圧学校だけに絞ったんです。

ですが、指圧で身を立てることになったんですが、学校を卒業した後、どのようにしたらいいのか見当も付かない状態でした。

幸い、指圧学校を卒業する間際になって、それまで指圧の勉強に通っていた医王会指圧センター増永先生の誘いを頂いて、そちらで働く道筋が出来たんです。
2007.06.25 霊界について
前回書きましたように、自分のやりたいことは指圧であると考える日々を送っていた当時ですが、目に見えない世界のことに関心が強まってきたんです。

本屋に行っては精神世界の本や霊界に関する本を探しては購入したり、出版社から取り寄せたりして読みあさりました。

それまで縁のあった或る宗教の中では、殆ど霊界のことや目に見えない世界のこと、またUFOのことなどに付いては答えを得ることができませんでした。

その為に、こうやって何年間も内外の種々の本を通して、自ら学ぶことになったわけです。ですが、それ等の本の内容が正しいものかどうかは分かりませんでした。

とにかく、今まで知らなかった精神世界のことは手当たり次第に学んで行ったと言う感じですね。
前回まで述べて来ましたように、20代の終わりまで外資系の小さな会社で紆余曲折がありながらも、サラリーマン生活を続けながら、真理を求めて宗教の協会に通い続けていました。

でも、その宗教にも段々疑問が出てきて、何処がどのように間違っているのかと言ぅことは分かりませんでしたが、何となく教会に行く機会が減ってきたんです。

また会社勤めも、金も為、会社の為に働くことや、学歴に左右される給与体系や、所謂声の大きい者(自己主張の強い者)が出世するようなこととか、狭い組織にしばられているようなことに疑問を持ちだしたのです。

そして、宗教の関係で、如何に生きるべきか、何をしたらいいのか等、色々と思い悩むと言いますか、煩悶するようにもなって来たんです。
上京してから、20代の後半あたりから段々と宗教的なものから、より精神性のあるものに気が向くようになりました。

でも相変わらず、銀座にあった教会には毎日のように通い、そこで青年会やその他の会合にでたり、手伝いをしたりして模範的な信者のようでした。

ただ自分の心の中は、何時も虚ろと言ぅか、他の人のように宗教にのめり込めず、中途半端な気持ちでおりました。

その宗教は、新興宗教と言われる一つではありましたが、所謂、ご利益信仰ではありませんでした。心を正すことを目的にしていました。

ですが、あなたもご存知のように、宗教団体と言うことになりますと、そこに自ずからある種の形が出来てしまい、それに従うのが信仰のように思う人々が多くなりますよね。

その宗教も真理を説いていながらも、一方で箸のこけた(倒れた)ような小さなことでも願えと教えていましたので、どうしても他力本願になり易いところがありました。

中には、寄付を多くする方がお陰が多いと考えている信者も多かったように思います。そうなるとご利益信仰そのものですよね。
2007.06.22 上京してから
前回も申しましたように、郷里の尾道に居る頃までは、ある宗教の教会に通うことで色々と真理と言ぅか、如何に在るべきかに付いて考える機会がありました。

ですが、依然として世間知らずと言いますか、狭い自分だけの世界の中で考えておりましたので、日々の生活に於いて、その真理を実践して行くことはありませんでした。

と言ぅよりも、そこで言われていることは頭では良く分かるのに、いざ日常の生活の中に入ると、自分のやっていることが正反対なことばかりであることに苛立ちを覚える日々でした。

その為に、どうして自分はこんなことが出来ないのか?、と言う自問自答を繰り返すばかりで、厭世的な気分になることが多かったですね。

それと生来、自分の想いを外にだして発散することが上手ではなかったようで、それで余計に内向的になり、鬱々とした日々を送っていたわけです。

2007.06.21 始めに!
今日からこちらで、指圧「洗心」(心を洗うこと)に付いて色々と思うこと、気付いたことなどを記して行きたいと思っています。

ご存知のように、時代はドンドンと変化をしており、今までのような物質優先の世の中から精神性を重視する方向に変わって来ています。

こうした大変革の時代に生まれ合わせたことを感謝すると共に、これからの時代に、どうように心を洗っていけばいいのかを、指圧の仕事に従事しながら考えて行きたい訳です。

取り敢えずは、自分の過去を振り返り、どのように今日の在り方に導かれたのかに付いて述べてみましょう。既に遠い昔のことですから、ほんの一部に限りますが・・・。